信越トレイル

信越トレイル・ストーリーズStories

加藤則芳さん

文・写真:TRAILS / 監修:TRAILS

#4 地域の人々がつくる
ロングトレイル

〜地元に愛されるトレイルをめざして~

信越トレイル・ストーリーズ#04では、地域の人々にフォーカスした信越トレイルのストーリーをお届けしたい。

信越トレイル・ストーリーズ#02では、信越トレイル誕生のストーリーを語った。それは主に表舞台の話であったが、その一方で現場では地域の人々の思いや努力が、信越トレイルの誕生に大きく関わっている。そしてそのような人々がトレイルに息吹きと愛情を注ぎ込んできた。

日本のロングトレイルの第一人者である加藤則芳氏も、「ロングトレイルは地元の人に愛されるトレイルにならなくてはいけない」ということを繰り返し語っていた。ロングトレイルは作っておわりではなく、いかに維持していくかということが、とても重要だからである。そのためには、地元の人の理解と共感、そして愛情が欠かせないものとなる。

今回の記事では、信越トレイルのある地域に住む8人の人々に登場してもらい、信越トレイルとの出会いと思いを語ってもらった。

信越トレイル・ストーリーズ

信越トレイルは、いかにして人々を魅了し、ロングトレイルの旅へと駆り立てるのか。加藤則芳氏が込めた理念、誕生のヒストリー、トレイルを支える地域の人々。それらのなかにある「他にはない何か」を再発見すべく、長年、信越トレイルを取材してきた「TRAILS」(※)の編集チームが監修・制作した記事シリーズ。
※トレイル・カルチャー・ウェブマガジン「TRAILS」(https://thetrailsmag.com

地域の人の思いと特技が集まって、トレイルの魅力がつくられる

01 榎本幹男さん

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榎本幹男(えのもと みきお)さん。信越トレイルのガイド組織発足時よりトップガイドとして活躍。

最初に登場してもらうのは榎本さん。現在、信越トレイルのトップガイドを務め、持ち前の明るい性格で、トレイルを歩く人々をたくさん迎えている。

信越トレイルができる前は、地元の斑尾でペンションを営んだり、スキースクールのインストラクターなどを務めていた。人を笑顔にさせる話し方が印象的な人だ。

どのようなきっかけで信越トレイルと関わることになったのですか?

榎本:最初の50kmの区間が開通した頃からですね。知人に誘いを受けたのがきっかけです。50kmもの長さのトレイルができたと聞いて、自分でも何かしたくなったんですよね。

榎本さんのガイドはとても楽しく評判だとうかがいました。もともとガイド業をなさっていたのですか?

   

榎本:いやいや、やってないです。ペンションやスキーのインストラクターで接客業はやっていて、人と話したりするのは、楽しくやっていました。ガイドのときに一番大事にしているのは安全です。その上で、来た人にいかに楽しんでもらうかを心がけています。

最近では、海外からのハイカーもガイドされると聞きました。英語もお上手なのですか?

榎本:英語は「just a little」ですよ(笑) でも、これだけ海外の人も来るようになったのを見ると、今まで自分たちも関わってきて、やっぱりよかったなーと感じます。

02 水島健吾さん

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水島健吾(みずしま けんご)さん。榎本さん同様、信越トレイルのトップガイドとして活躍。地域の歴史にも詳しい。

次に登場してもらう水島さんは、もともと郷土史研究をしていた方で、地域の歴史も大変詳しい。

そんな水島さんは、信越トレイルを知ったことがきっかけで、持っている知識を活かして、地域の魅力を伝える仕事がしたいと、信越トレイルに関わるようになった。

水島さんは、どのような思いで信越トレイルのガイドをやろうと思われたのですか?

水島:信越トレイルのことを知ったのは60歳のときで、そのときにいた会社にまだあと5年勤めることができたのですが、踏ん切りをつけて辞めたんです。自分が持っている知識とか経験をもとに、この地域の魅力発信をやりたいなと思ったんです。自然も前から好きなので、他にも地域の自然の家で、研修指導員もやるようになりました。

関田山脈の峠の歴史も、とても詳しいとおうかがいしました。

水島:関田山脈はそれぞれの峠ごとに歴史と物語があるんですね。川中島の戦のときは軍道として使われた歴史がありました。また新潟側と長野側の交易の道にもなっていました。塩の道として新潟から牛を使って塩が運ばれてきて、長野側からは和紙や藁(わら)やロウが運ばれました。そういった話などをガイドのときにお客さんにして、地域の魅力が伝わって、「また来ますね」と言ってくださるときは本当にありがたいですね。

地元の山で遊んでいた人々が、道づくりに参加する

03 美谷島孝さん

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美谷島孝(びやじま たかし)さん。オリエンテーリングのスペシャリストでもあり、地形、地図に非常に詳しい。

榎本さんや水島さんは、信越トレイル発足当初から、道づくりのトレイル踏査などにも民間の人として参加していた。次に登場してもらう美谷島さんと齋藤さんもまた、違った立場からルート踏査の段階から関わっていた地域の人たちだ。

美谷島さんは、オリエンテーリングやクロスカントリースキーなどを通じて、さまざまなイベントの企画にも携わっている。得意のオリエンテーリングの知識と経験をもとに、信越トレイルをつくる際の踏査や地図づくりにおいても活躍された。

美谷島さんが、信越トレイルと関わるようになったきっかけは何ですか?

美谷島: 関田山脈の山域は長野の山岳会のスキーのエリアだったんです。私もクロスカントリースキーでオリエンテーリングしながらこの山域を縦走したりしていました。信越トレイルとの関わりも、オリエンテーリングの話をスタッフの方にしたことがきかっけでした。

信越トレイルのルート踏査にも関わったとおうかがいしました。

美谷島: 牧峠から天水山にルートを伸ばすときに、少しお手伝いさせてもらいました。オリエンテーリングもそうですが、道のないところに行き、道をつくるっていうことは好きなんですよね。まだ道がなかったときにルートの候補地を探検しに行ったんです。道がないから藪こぎをしたり、木に登って遠くを見たり、そんな感じでしたね。

04 齋藤 公二さん

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齋藤 公二(さいとう こうじ)さん。関田山脈の雪の世界が好きになり、それをきっかけにルート踏査などにも関わった。

美谷島さんとともに、牧峠から天水山までのルートをつくるときに、その踏査に関わった齋藤さん。美谷島さんと同じように、関田山脈の山で遊んでいたことで、この山域に愛着がわいた人である。

信越トレイルとの出会いを教えてください。

齋藤: 冬の関田山脈で雪洞泊やテント泊をして遊んでいたんです。ここの山の雪は、他のところとは違うんですよ。毎年、通うようになって、それでこの山域が好きになってしまったんですよね。トレイル整備に参加しているのも、この山で遊ばせてもらっているお礼なんです。

齋藤さんも、信越トレイルの初期のルート踏査に関わっていらっしゃったんですよね。

齋藤: 踏査を兼ねた関田山脈を歩くツアーというのがあって、それに参加したりしていました。信越トレイルのプロジェクトとは別に、未開通のセクションを美谷島さんたちと探検したんです。記録も残していますが、そのときのルートはほぼ県境を歩いていますので、現在のルートとほぼ重なっているとは思います。その記録は信越トレイルのスタッフの方に後でお渡ししました。

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齋藤さんが記録した、ルート探索の詳細な記録。

接客のプロ、郷土史の研究家、オリエンテーリングのプロ、雪山泊の愛好家など、地元のさまざまな特技や趣味を持った人々が、それぞれのきっかけで発足当初から信越トレイルに興味を持ち、トレイルづくりに参画していった。今もそのような地元の人々が、ガイドや整備ボランティアとして信越トレイルを支えている。

次に登場する2人は、また違った経緯で信越トレイルと関わるようになった人たちである。

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